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    • 2013.03.13 Wednesday
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    少欲知足(人はどう生きるか?)

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      本随筆集の表紙(写真)
       表紙の写真のモチーフ

       この世間に慎ましく生きる自分(チャップリンの像)が、音楽(チェロとそのケース)と大いなる自然(青い空)に包まれながら生きている、その背景には絆で結ばれた家(家族)があることをイメージしています。


      目   次

      機サの章 (生とは?)  
        1.生ということ ー その苦と喜び ー 
        2.果てしなく拡がる宇宙と脳 
        3.煩悩具足の凡夫 ー 縁あって生まれて来た人生 ー

      供ゾ気両蓮 弊犬龍譴抜遒咫 
        4.地球脱出一番乗り ー 死の灰 ー
        5.顔、顔、顔 ー 男、四十にして ー
        6.開発と安心・安住できる生活 
        7.大学祭の日の救急患者 ー 遠くになって思う青春時代 ー 
        8.男の脳・女の脳 ー 男砂漠のオアシス ー
        9.心に残る出会い ー 一期一会の心 ー
       10.鈴虫と春夏秋冬の一生 
       11.親心と子心 ー 伝わりにくい心 ー 
       12.雨の薩摩から青葉の陸奥へ 
       13.詩 春の早朝の海

      掘ヅ召両蓮 弊鎖静癒し) 
       14.ポーランドからの友人 ー ショパンの国 ー 
       15.オペラ「夕鶴」 ー グローバルでユニバーサル ー 
       16.四十の手習い(一)チェロ 
       17.四十の手習い(二)県民第九 
       18.コーヒーの店“かおり”ー 二十数年目の再会 ー 
       19.精神的癒しの音楽 ー J.デュプレと難病 ー 

      検シ襪両蓮 幣欲知足) 
       20.慈悲の心 ー 良く聞き、見守る ー 
       21.浄瑠璃寺の秋 ー夫婦の世界 ー
       22.自分の思うようにもなる自分の心 
       23.人材と人の心 ー 何事も七、八割 ー
       24.父を見送る心 ー 釈迦入滅の言葉 ー
       25.遺族・親族代表の挨拶 ー父の告別式 ー 
       26.仏様みたいなお父さんだね
       27.大きな発見 ー 心豊かな人生 ー  (未完) 


      続編(完結編)

      蒼き志から少欲知足へ  
      定年退職 ―想定外の一年間―  
      最後の一段 ―晩節― 
      孤独死か孤立死(独居死)か? 
      無常と孤独 ―この世は一体何なのかー 
      無常と新幸福論  (完結)  

      生きる喜びと生ききる辛さ,悲しみ

      はじめに
       

       本書は、三十歳なかばから約三十年間近く、書き留めてきた二十七編の随筆集である。

       全編を貫いている主題は「人はどう生きるのか?」である。

      私はもの心付き始めた頃から、生について思いをめぐらしたり思い悩んだりし始め、私のこれまでの生涯の最大のテーマが生であった。
      それは当然、死も表裏一体である。すなわち、

      人はなぜ生きるのか?
      人はどう生きたらよいのか?
      そして人はどう死んでゆくのか?
       
       

      いつもこのことは脳裡から離れず、考え、悩み、行動しながら、絶えずこれに答えてくれる人や書物を希求してきた。
      そして、年を経るにつれ、その時々に印象深かったことを思うに任せて綴ってきた。

      そうこうして還暦も過ぎた頃になって、ようやく、「人はどう生きるのか?」の自分なりの解答が見えて来た気がする。
      せっかくだったら、自分と同じように悩み、求めている人々に読んでもらう機会があれば何かの足しになるかもしれない、と上梓した次第である。

      今回、読み易いように全体を起承転結の四章に分けてみたが、これは大まかな整理であって、最初から意図として書いた訳ではない。

      また、全編の背景になっているのは、自分の研究分野である「高次脳機能とその障害」であることも付言したい。

       二0一0年(平成二十二年)九月二十二日(中秋の名月の夜に)span>


        追記:本随筆集の最後は(未完)と書いています。 すなわち,定年退職当時,「人は,どう生きるのか,どう死ぬのか?」の宿題が,私なりにもう少し残っていた,という訳です。
       ところが,その後,6編の随筆(思索と経験)で(完結)しましたので,続編(完結編)として記載します。私なりの独断と偏見ですが,これで死ぬ心の準備ができたということになります。


      . 起の章(生とは?)

       1. 生ということーその苦と喜びー         

       生について思いをめぐらし始めたのはいつ頃からだったのだろうか。それは期せずして性に目覚めた頃からだったような気がする。
      生と性―単なる語呂合わせではなく、どこか根源的なところで結び付いているように思えるが、今はうまく説明できない。

       それはともかく、私ごときが思い悩まなくても、今から二千五百年も前に偉大な先覚者である釈迦が「生は苦である」と喝破されている。真に箴言である。

       だが、苦ばかりではなく楽もあると言い返してみたい気もする。友人・知己との酒宴もあるしスポーツ観戦や音楽鑑賞もあるし、そうそう家族団らんもあり、と挙げればいくらでも出てくる。

      しかし、やはり現実は思うようにならないことがあまりにも多い。だから「花は盛り(満開)に、月はくまなき(満月)をのみ、見るものかは」(兼行法師)などと慰めてみる。

       職業柄多くの臨終に立ち会ってきた。その中で、若い頃、東京で経験した印象深いものを挙げてみよう。
       病棟でいつも陽気で中心的存在だった六十歳の介護女性が、ある日予期せぬ心筋梗塞で急死した。その後しばらくその病棟全体に言いようのない不安感が漂っていた。

       ある若い母親が赤ん坊を抱いたまま、山手線の電車に飛び込んだ。母親は即死だった。赤ん坊は奇跡的に一命をとりとめ泣きじゃくっていたが、父親や親戚の来院はついになかった。

       一流会社に就職が決まっていた大学生が、授業中に突然けいれんをおこした。まさに青天のへきれきで、悪性脳腫瘍であった。短い入院生活の中で「先生、僕は病気になんか負けませんよ。就職して働きたい」と言っていたが、ある朝、母親と婚約者に見守られながら返らぬ人となった。

       このように、生はいつも死と直面しており、そのありさまは時に冷酷ですらある。

       また人の一生は短いから悲しく、長いから諦めがつくなどとは単純に割り切れないところがある。短命であった高杉晋作自身も「どんな一生といえども、そこには春夏秋冬がある」と言っている。人生の長短よりその中味だと思いたい。では、その中味とは何か?私自身、中味探しの人生は現在も続いている。

       ところで、誰が見ても最後まで苦労して亡くなった人もいる。それでは不平等である。どこかでつじつまを合わせてくれなければ、とても耐えられない。そういう現実の人間の不平等、悲しみ、無力感を宗教は救おうとしているのかもしれない。

       だが信仰心の有無にかかわらず、人は一人で生まれてきて、一人で死んでゆかなければならない厳然たる運命にある。また最も大事なことなのに、自分の死ぬ日の予知も決定もできない。本当に厳しい現実である。

       しかし、例えば癌の宣告を受けた人が、その現実を直視することにより、生き生きとした生を過ごすときがある。またその生き方が同じ病む人のみならず、健康人の心にも勇気を与えることがある。いずれ同じような道が来ると分かっているからである。

       人生はいつ思わぬことが起き、苦しい思いをするか分からない。苦しくつらい時には、思いきりあがき、もがくのも、生身の人間の自然な姿と思う。自然流の生き方も当然ある。また「災いを転じて福となす」と言うように、苦の中にある時こそ、前向きの考えに転じる生き方もある。そうすれば生きる喜びはもっと大きくなるだろう。

       諸行は無常であり、生は苦であるが、考えようによっては生は生きる喜びや尊さをも味わえる貴重な時間である。span>


      2.果しなく広がる宇宙と脳

       江崎玲於奈氏によれば、「ノ−ベル賞受賞者の多くは、むずかしい大先生というよりは、年をとっても考えは柔らかく、好奇心旺盛な人達である」と。

       話は変わるが、種子島の宇宙センタ−展示館を一巡すると、宇宙の事が良く分り楽しい。飛び立つロケットから見える風景が、次々とパノラマ風に展開してくる展示があった。画面は小さな種子島が鹿児島県になり、あっというまに九州〜日本列島〜太平洋と次々に広がってゆき、丸い地球となった。
       その地球もどんどん小さくなり、木星、金星などが現われ、ついには太陽を中心とした銀河系に変わった。まもなく銀河系はアンドロメダ座、カシオペア座など多くの星座と同じように、宇宙空間を漂よい始めたのである。こうなるともう神秘の世界としか言いようがない。

       こんな経験をすれば、果しなく広がる宇宙に驚くと同時に、それを理解できる人間の脳の働きの限りなさにも改めて気づかされる。この原稿もパソコンで打っているが、大型コンピュ−タ−をいくら集めても人間の脳にはかなわない。何千年と続く古今東西の歴史も、きらめく文化・芸術も、宇宙の神秘を徐々に解きほぐしていくのも、その脳のなせるところである。

       宇宙と脳は大きさこそ比べようもないが、それぞれの広がりは、等しく無限に近い。この果しない広がりを持つ脳にはまったく興味が尽きない。

       同じく江崎氏によれば、論語に曰く、「学問を知っている人は、学問を愛する人に及ばない。学問を愛する人は、学問を楽しむ人に及ばない」と。「学問」を「人生」と置き換えても、また含蓄のある言葉だ。少しでもそんな人に近づきたいものである。


      3.煩悩具足の凡夫―縁あって生まれて来た人生―

      寒気の中で待ち侘びた「白梅に明くる夜」はとうに過ぎ、「散ればこそいとどめでたい桜」も終った。
       陽気に誘われて丘に登れば、眼下の海は、「ひねもすのたり のたりかな」の趣きである。

       季節は間違いなくめぐってくるが、私の頭の方は、妙に一点に留まる時がある。

       テレビのレポーターが、ある若い主婦に「脳死を人の死と思うか」と問うと「体が暖かいのに死と認めるのは嫌だ」と答える。
       「では、自分の子供が心臓移植しか生きる方法が無いとなると受けさせるか」と問えば、「受けさせたいけど・・」と口ごもる。
       「自分は男女差別のない職場で、生涯働きたい」と主張する若い女性に、「その職場の新年会と自分の子供の誕生日が重なったら、どっちを選ぶか」と聞くと「さあ」と迷ってしまう。

       鯨は哺乳動物でもあり捕獲は残酷と、監視船まで出してやっきになる人達が、やさしい目を持つ牛を平気で食用にしている。
       人間は自分の事は分りにくく、身勝手で、我がまま、自己本位に走り易い。

       湾岸戦争の時、ブッシュはフセインを危険な独裁者と決めつけ、フセインはブッシュを悪魔の帝国主義者とののしった。その結果、多数の国民が死に、測りしれない環境汚染が残った。

       きっと天上ではキリストとモハメットが苦り切った顔を見合わせ、悲しんでいただろう。傍らでは釈迦が、いくら理屈を並べても人間は煩悩具足の凡夫だからね、と嘆いていそうな気がする。ただその教えには先がある。煩悩具足の凡夫だからこそ、現実を見据えて仲良く、精一杯生きよ、と。

       縁あって生れてきた、一回きりの人生を大事に生きよ、と。
      これがまた、凡夫にはむずかしい。
      蕎気両蓮弊犬龍譴抜遒咫


      4.地球脱出一番乗り
       
            

        同僚に天文学者がいる。彼の論文を見て驚いた事がある。数式に∫が五つも六つも連なっていたのである。文字どおり天文学的数字に、大学受験の頃∫が一つだけでも青息吐息だった私の眼は、一瞬点になった。

       彼によれば、理論的には、地球の引力に打ち勝つスピ−ドでピストルを前方へ撃てば、その弾丸は地球を一周してきて撃った人の後頭部に当ると言う。よく考えれば高校物理のニュ−トンの万有引力の法則程度の事なのに、天文学者が言うと、ほぉ−と感心してしまう。

       さらに宇宙は限りなく膨張しつつあると言う。するとこの地球はどうなるのか。地球滅亡が頭をよぎったが、彼は、それは現実的にはまさしく杞憂で、それより人間が自ら作り出した核兵器が、よっぽど切実な問題だと言う。

       ソ連邦解体により、人々が心配しているものの一つに核がある。ウクライナ共和国大統領はいち早く非核宣言し、エリツィン大統領も核縮少を唱え、少なくとも核を慎重に扱う姿勢はうかがえた。ところがその後、黒海艦隊をめぐって、両国の確執が浮き彫りにされてきた。
       旧ソ連邦に限らず、核は地球の至る所にあり、新しく持とうとする国すらある。なす術の無い我々市民はやりきれない思いがする。
       地球が、荒涼たる死の灰に被われて、「夏草」どころか、「死の灰や 為政者どもが 夢の跡」とならない事を祈るばかりである。これだけはやり直しがきかないから。

       例の天文学者に、突出した為政者の核使用のため地球滅亡近しとなったらどうするかと聞くと、その時は死の灰を避けるため地球を脱出するしかないと言う。
       もしかしたら、彼が今、天文学に熱心なのは、案外地球脱出一番乗りを狙っているのかもしれない。その時はぜひ地球脱出ロケットに便乗させてもらう事にしよう。


      5. 顔、顔、顔

      久しぶりに同窓会に出かける。すると、いろんな顔に出会う。
       不思議な事に、顔によって話題が変わってくる。

      学生時代の面影をそっくり残した顔−自分もつい学生のような錯覚に落ちいって、昔話が出る。額が広く頭髪が薄くなり皺の増えた顔−これが最も多く、年相応の仕事や家族の話になる。薄い白髪だけになった頭−シルバ−世代に入ったという気持を切実に抱かせる。
       ツルツルになった頭−目がそちらにいかないように努力が必要だが、意識とは反対につい口が出てしまう。一番困るのは、思い出せない顔−当たり障りのない話をしながら名前を聞き出そうとするが、冷や汗物である。

      「男は四十歳になったら自分の顔に責任を持て」という箴言がある。えらい事を言ってくれたと思う。四十はとうに過ぎたのに、とてもそんな心境にはなれない。
       そういえば「四十にして惑わず」と宣ったのは孔子であった。孔子は四十歳に何か怨みでもあったのだろうか、と思ってしまう程、迫力がある。

        最近「孔子」を拾い読みしていたら、包容力のことを「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、小者はこれを懐 (なつ)けん」とあった。実際は、惑いと包容力の無さに振り回される昨今だが、同窓の諸氏は如何だろうか。


      6. 開発と安住    

      先日学会のため、千葉市の幕張へ行った。
       幕張は、人工的に開発された近代都市で、国際会議場や高層ビルが林立している。着いた時は、その近代的な街並みにすっかり目を奪われていた。しかし、夜も更けホテルの窓から黒くそびえ立つビル群を見て、寒々としたものを覚えた。仕事のために合理的にできた街は、緑も少なく、人々が帰った夜は、まるで生活感の無いゴ−ストタウンである。

       朝になると、これまた近代的な駅に、次々と電車が到着しては多数の人々がはじき出され、蟻の列のごとくビルへ吸い込まれて行く。私はいつか映画で見たような宇宙都市にいたかのごとき違和感を覚えつつ、鹿児島に帰ってきた。

       鹿児島は、まだ豊かな自然が残っている。自然も生きており、その中に、人も含む種々の動物や植物が育まれ、共存している。桜島のような活火山と隣り合わせに住まざるを得ないのは、狭い国土の為である。それ故に私達の祖先は、なお一層自然を畏怖し、大事に守りながら共存してきたと思う。

       しかし近年鹿児島も、開発やリゾ−ト建設などを競っている。過剰な開発は繁栄と引換えに、自然破壊のみならず、人の心に競争心や他人との比較とさらなる欲望を招く。比較と絶えまぬ欲望は不安のもとである。だから開発依存では、人はいつまでも安住できない。

       最近多くの市町村や市民グル−プが、そこの風土や特産物を生かした活動を、活発に行なっているのが目につき、新しい息吹を感じさせる。田舎の地産地消が、逆に都会の人々を引き寄せている現象も見られる。
       たとえ過疎であっても、そこに住む人々が楽しさや生きがいを感ずる事ができれば、それでいいのではないか。他の人が割り込んで作る繁栄の中に、安心と安住があるとは限らない。

       足るを知って、人は初めて安住できる。足るを知るのは、そこに住む人自身の心次第だと思う。


      7.大学祭の日の救急患者―遠くになって思う青春時代―span>

       言い古された言葉ではあるが、学生時代は「よく学び、よく遊べ」と。人生は時間であり、時間は止まることが無く貴重である。また学生時代は単に過ぎ去っていく青春の一ページではない。
       友あり遠方より来たる同窓会が盛んなように、学生時代は人生の大事な時代であり、恐らく死ぬまで大きな影響を及ぼす。だから「良く学び、良く遊べ」と。

       ただ学ぶことと遊ぶことは表裏一体でもある。学ぶほうに専門的知識や技術の修得があるが、遊ぶほうの代表に大学祭がある。大学祭と言えば、数年前に鹿児島大学に近い某病院の当直医を頼まれた時の事を思い出す。

       まず土曜日の夜、案の定、急性アルコール中毒のため男子学生が救急車で搬入されてきた。昏睡状態で顔や服は吐物で汚れて臭気がすごかった。一通りの処置をして入院させたが、友達らしき学生が一晩中心細そうに付き添っていた。
       翌日、くだんの学生が目を醒ました後、私に「先生、私は医学部の学生です。先生の講義を受けたことがあります。」と言う。捕らえてみれば我が子なり。その彼、今は白衣を翻して大学病院で患者さんの診療に当たっている。

       深夜になり、今度はサークルの先輩のしごきで顔に大きなコブを作った学生が二名来院した。木刀で気合を入れられたとか。レントゲン写真で骨折がないのを確認して帰宅してもらった。

       夜明け近くまで放言・高笑いの酔っ払い集団が往来を闊歩するために、当直室でまんじりともせぬ夜を過ごしていた。入院患者さんもうるさいだろうなと思っているうちに眠ったらしい。
       早朝に、救急車の音で起こされた。今度は全身打撲の女子学生であった。男子学生のアパートに泊まって朝帰りしようとした途端、メマイがしてコンクリートの二階の階段からまともに転げ落ちたらしい。CTスキャン検査で頭蓋内出血はないことが分かってホットしたが、経過観察のため入院してもらうことにした。
       知らせで両親が来院することになったが、女子学生は膨れ上がった顔で「女友達の家に泊まったことにして下さい。」と拝む。担当の看護婦さんにもその旨を伝えて一応その場はとりなした。知らぬは親のみである。

       日曜日の昼前、今度はおじいちゃんが孫の大学祭を見に来て、出店で食べたダンゴを喉に詰まらせて救急車で搬入。チアノーゼが出ていたが、挿管道具を使ってダンゴを取り除いて間一髪、一命をとりとめた。これは時間との勝負で危ないところだった。

       昼過ぎになり、やれやれもう来ないだろうと思っていたら、今度は某テレビ局のカメラマンが大学祭の撮影中に側溝に転落し頭皮裂傷で来院。止血、縫合し、骨折のないのを確認後、帰ってもらった。

       私はその夕方、当直医の役目を終え帰宅後、ようやく解放された気分で枝豆をつまみながらビールを飲んだ。飲みながらテレビニュースを見ていたら、あのカメラマンが撮影したかもしれない大学祭が放映された。
       自分の時の大学祭と重ね合わせながら、歌の文句ではないが「青春時代の真ん中は、遠くになって思うものかな」などと感慨にふけったことだった。 

      8.男の脳、女の脳

       男と女―この魔珂不思議なものーに関する話しは、古今東西尽きることがない。

       一般に、男は地位、名誉、大義名分にこだわり、仕事第一となりやすく、場合によっては国のために命すらかける。また政治や哲学、科学の分野で傑出した人は男が多い。
       他方、女は気持ちやフィーリングを大切にし、現実的で家庭を大事にする。

       このような男と女の差は、その時々の社会環境にもよるだろうが、脳の働きの違いからくる影響が大きいと思われる。すなわち男は大脳皮質が、女は大脳辺縁系が優位に働くからだと言われる。(あくまでも程度の差だが。) 

       大脳皮質は創造、知能、理論などの機能を担い、大脳辺縁系は情動と食欲、営巣欲など生活や生存のために重要な役割を持つ。
       もし、女を口説こうと思えば、政治や哲学を説くよりも、ムードたっぷりに瞳を見つめながら君が好きだよ、と大脳辺縁系を揺さぶる方がよほど効果的だと思う。
       ソクラテスの妻は悪妻と言われたが、大脳皮質を過熱させていた哲学者を大脳辺縁系中心に走り過ぎた妻が理解できなかったのが原因ではないかと想像させられる。

       大脳半球が左と右に分かれていることは良く知られている。一般に左脳は言葉や読み書き、計算などの働きが優位で仕事や勉強の脳と言われる。
       右脳は空間認知、構成、音楽を始めとする芸術に敏感で感性の脳とされる。両者のバランスの良い発達が望ましい人間性をつくるのではないかと思う。

       この両者の架け橋となっている所が脳梁(のうりょう)である。脳梁は女の方が男より発達しているので、左脳と右脳の交信がスムーズに行き易く、女の方が環境の変化に柔軟性がある所以だとも言われる。

       私はここで男女の脳の働きの優劣を言いたい訳ではない。それよりも大脳辺縁系優位である女がうらやましくもある。
       というのは、私たちの世代の日本では、男は物心ついた頃から、「男だろ、しっかりしろ」と言われ続け、青年時代は潔さをたたき込まれ、中年になれば責務とストレスにさいなまれ、そして、定年という世代交代が待ち受けている。
       あげくの果てに濡れ落ち葉などと酷評されれば何のための人生だったのだろうとなる。

       大脳皮質を燃焼させることを余儀なくされている男にとって、大脳辺縁系から醸し出される女の持つやさしさと細やかな気遣いは、男砂漠の中のオアシスみたいなものだと思う。

       ある夜、男友達数人と居酒屋で飲んでいた時に、カウンター越しのテレビに某女性党首の演説が映し出された。その辺の男なぞ寄せつけないぐらい実に立派で堂々としていた。 
        
       ところが、誰ともなく「でも、女は家庭の真ん中にいて、夫の晩酌にも楽しくつきあってくれる女がいいな」とつぶやいた。

       男は大脳皮質を燃焼すればする程、大脳辺縁系の女のオアシスを心のどこかに求めているのではないかと感じた。 世の中の女性は自分の大脳辺縁系の長所を良く理解して、育児や夫とのコミュニケーションに上手に生かしてほしいと思うのは酔った男の脳の勝手だろうか。

      9. 「心に残る出会い」―一期一会の心― 

       その頃、私は青雲の志を抱いて、南国鹿児島から上京し、某私立大学病院の脳神経外科研修医として研鑚を積んでいた。

       当時は、日本の脳神経外科の黎明期で脳神経外科の専門病院は限られていた。だから外来や入院患者さんはもちろんの事、昼夜を問わず救急車が出入りし、脳外科医は厳しい修練を強いられていた。
       先輩医師からは良く、「脳外科の研修医と掛けて、雑巾と解く」。「その心は、絞れば絞るほど役に立つ」などと揶揄されていた。
       睡眠時間はままならず、まともな食事もできないような厳しい研修のために、私は自分自身の健康すら損ないかねない状況であった。しかし,そんな厳しさを苦労とは感じない時代でもあった。

       そういう状況で、久しぶりに正月に帰省できる事になった。少し上機嫌でバッグに身の回り品を入れている時に、父から電話があった。
       鹿児島に良い女性がいるから会ってみないかという話しだった。父はその女性と二〜三回会ったことがあるが、実に性格の良い娘さんだと言う。

       私はもともと「見合いも出会いの一つ」と思っていたから、見合いそのものに抵抗感は無かった。良く聞くと、先方のお父さんも私を見かけたことがあり、気に入って下さっているという。父親同士は同じ歯科医師であった。
       両方の父親が気に入っているのであれば、変な組み合わせではないだろうと思って、帰省早々会う事にした。

       実家の前で、相手の女性が車から降りてくるのを待った。車は私の目の前を少し通り過ぎて止まり、降りてくる女性の後ろ足がまず眼にはいった。
       それを見て私は、「ああ、この人と結婚しよう」と思った。車から降りる足の運びが、父から聞いていた性格の良さを表していた。

       その後三日間、喫茶店やドライブに行って話したり食べたりしたが、実に楽しい時間であった。彼女のすべてがすんなりと私の心の中に入ってきた。

       三日目は大晦日の前日だったので、正月二日に東京に発たなければならないことを話した。当時私は、今思えばかたくなだったけれど、大晦日と元日には人は家族と居るべきで、こうして会う訳にいかないという考えがあった。
       そこで私の口から自然に「結婚しましょう」と言う言葉が出て、「はい」という答えが返ってきた。言った後、私たちは顔を見合わせて破顔一笑した。これで婚約が成立した。

       ただ当時、私の研修医の給料は七万円でアルバイト料を入れても一人の生活がぎりぎりだった。しかし二年後には助手に採用される見込みがあり、そうなると二人の生活が賄えるようになる。そこで結婚は約二年後になる事を了解してもらった。

       その年が明けて、東京行きブルートレインの薄暮のプラットホームには、私の両親と婚約者とその両親が見送りに来てくれた。

       このように、自分の伴侶に限らず、物事は一目会った時に決まることも少なからずあると思う。初対面といえども心だけは隠せない。そういうところから、一期一会の心を大切にする日本文化も生まれてきたような気がする。

       その後、私は長野県上田市のある脳神経外科病院に出向に出された。仕事は相変わらず多忙を極めたが、人情は素朴で、北国の見る物、食べる物が珍しかった。
       鹿児島は厳しい残暑が十月半ばまで続いて閉口するが、信州では盆が過ぎると、秋風が立ち始める心地良さであった。そんな中でも、彼女へのコミュニケーションは手紙と電話で絶やさないようにしていた。

       ところが、ある日上司との会話で、「婚約したのなら、結婚して上田に呼んだら」という話しが出た。「上田と鹿児島というこんなに離れていて、結婚が長い間口約束だけでは、相手方に対しても常識はずれかもよ」とも。

       私は、初めて自分の朴念仁に気づいた。
      私は、早速、年末に帰省して結納を交わし、結婚式は翌年の九月二日に鹿児島で、と決めた。

       今度は頼まれた仲人が訝しがった。「九月二日は二百十日だよ。鹿児島は台風銀座というが、台風の時期を避けてもう少し涼しい秋の頃はどうかね」、と。
       しかし、超多忙な脳外科医にとって、当時、大安の結婚式+新婚旅行+挨拶回りの一週間という長い休みを思うようにとれる状況ではなかった。

       仲人の心配をよそに、結婚式前後は晴天が続き、新婚旅行や挨拶回りも済ませて、私たちは信州信濃に落ち着いた。
       そして、二人で信州の秋の高原、ニッコウキスゲの群落と白樺林などを楽しんだ後、年末には出向が解け、また東京の喧噪な生活に戻った。


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      随筆集ー少欲知足ー 浜田博文(薩摩鶏) 

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         ブログに不慣れのため,上記の,次ページに続きます。続きを読む >> をクリックしてください。そうすれば,上記の記事の続きが読めます。そして,その最後に,続編=完結編の機き兇記載してあり,続いて,このページの 最後の一段 ー晩節ー 


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         還暦はとうに過ぎたので、階段の上り下りには十分気を付けているつもりである。
         我が家の一階から二階への十一段の階段でもしかりである。家内と話し合って、念のため丈夫な手摺までつけた。十分、用心していたつもりであった。

         ところが先日、二階から一階に降りる時、「階段だ、気をつけよう」と意識して手摺にも触れながら降り始めた。 それにもかかわらず降り終る直前になって、少し気を緩めた瞬間、あっという間に体が宙に浮いて,ドンと大きな音とともに両足がガクッとして床に飛び降りた。
         近くにいた猫がその音に驚いてサッと逃げたのも、一瞬見えた。

         せっかく取付けてあった手摺は役に立たなかった。私は両足にかなりの衝撃を受けたが、たまたま両足同時に床に着いたからか、痛みはほとんどなく事なきを得た。
         一階の床に着くなと思った瞬間、油断して注意散漫となり、最後の一段を飛び越えて降りてしまったらしい。

         以前はやらなかったようなことを年とってからやり出した。少しショックだった。最近は他の場所でも同じようなことを何回か経験している。次がまたあるかもしれない、と思うと少し不安である。

         ところで,徒然草の「高名の木登り云々」という段に,次のような一節がある。
         有名な木登り名人が,未熟な者に指図して,高い木に登らせて枝を切らせた。非常に危ない場面では何も言わなかったのに,下へ降りてきて家の軒の高さ程になって初めて,「気を付けて降りよ」と声を掛けた。

         すると兼好は不思議に思って,「こんな高さになれば飛び降りても何ということはないのに,なぜ今になってそう言うのか」と聞いた。その名人は「危ない時は誰でも気を付ける。ところが、失敗は安全と思って気持が緩んだ時に起きるものだからだ」と答えた。さすがは名人と言われるだけあると兼好は感服した、と。

         登場人物や時代に関係なく、兼好の言わんとする事は道理にかなっている。
         人は物事が何であれ、終わる間際になって油断が走り、大事を招き易い。
         さらに人生そのものもそうで、晩節を汚す、という言葉もある。還暦を過ぎたら肝に銘じておかなければならない。
         人の心理をついて妙なる兼好の面目躍如たる段かな、と改めて思い知らされた事だった。



        検仝鋲隼爐、孤立(独居)死か?

         「孤独死」という言葉が近年、新聞や週刊誌、テレビなどのマスコミに目立つようになってきた。最近本紙面でも、鹿児島県が行ったアンケート調査結果(2010年度)が報道されていた。
         それによれば、行政は調査時の「孤独死」を次のように定義している。「65歳以上の一人暮らしで、誰にも看取られずに亡くなり、死後2日以上たって発見され、自治体が把握したもの」と。
         「その結果24人を把握した」が、「行政が把握できたケースを対象としており、実際は多い可能性もある」と報じられている。高齢者の一人暮らしが増えつつあるので、その数は増加してゆくと思われる。

         しかし、その死は、本当にひとまとめにひっくるめて否定的な意味を持たせたような孤独な死であるのだろうか?
        「孤独死」という否定的表現は,場合によっては、その亡くなった人の尊厳を損なうことにならないだろうか。

         逆に、誰かに看取られて亡くなる死が、孤独な死でないと誰が言えるであろうか?
        孤独であったかどうかは、亡くなった本人しか分からない。または生前、本人の琴線に触れる機会があった人(これとて不確かである)ぐらいしか伺い知ることができない複雑で微妙な心の働きである。ある意味では、他人が入り込めない人の心の最も奥に存在するものである。

         考えてみれば、死を前にして、人は誰もどこかで言いようのない孤独を覚えるのではないだろうか。
        もう時間は元に戻せず、誰も死から蘇(よみがえ)ったことはない現実を、人はその生きてきた中で良く知っている。 いや、すでにDNAに組み込まれて分かっているのかもしれない。死が近くに迫ると、一人で逝くしかない厳然たる運命が待っている、と。

         それ故に、どんな死にも孤独が付きまとう。さらに敷衍すれば、どんな場所、時においても、孤独の有り様はその人の心次第ではないかと思う。
         例えば、飽食と宝飾に包まれた人が孤独でないとは言えない。そんな人,場面をよく見る。
         逆に,中世の頃から日本人は、時として感じる詫(わ)びしい・寂(さび)しい気持を、「詫(わ)び・寂(さ)び」という閑雅・枯淡の美へ転化し、芸術・文化にまで昇華してきた。

         従って、独居(単身)中の高齢者の死を「孤独死」などと安易に否定的に表現したり考えたりするのは不遜ではないだろうか。当人に対しても失礼である。
         あえて言うとすれば、それは「孤立死(独居死)」であろうか。

         だからと言って、孤立(独居)死の高齢者を傍観していてよいという訳ではない。
        誰も免れない死にゆく孤独にも、誰か見守ってくれる身近な人、気持ちを聞いてくれる友人・知己の存在は、その孤独を、少しでも緩和できるのではないだろうか。
         人によっては宗教がそれを担ってくれるのかもしれない。

         ただ、近年は高齢(あるいは単身)になっても、子供と同居することは食の好みや物事への興味が異なる、生活のリズムが合わない、意外に気骨が折れる、迷惑をかけたくない等々の理由で、あえて独居を選択する人もいる。
         他方、現代の若者世代は個人主義や合理主義的社会で育ってきている。

         このように社会の構造や価値観が益々複雑に変遷していく現代では、高齢者の独居生活は間違いなく増え続けていくにちがいない。それに並行して孤立死(独居死)も増えていくことになる。
         これは、もはや個人の力ではどうにもならない社会現象である。だから社会全体(国や自治体)で対策に取り組むべき問題の一つになってくる。

         以前、日本は急速に進行する高齢化社会に対応して、介護保険制度を確立した実績がある。介護保険制度に多少の不都合はあっても、それを是正しつつ、この仕組みは日本の社会に定着し、高齢化社会を社会全体で支え合う仕組みづくりに成功している。
         その実績を踏まえて、社会全体で支える高齢者の独居生活とその死対策も何とか軌道に乗ることを期待したい。

         (本文は,平成二十三年十月三日付けの南日本新聞に掲載されたものに,一部修正を加えたものである。
          なお,最近,全国版マスコミの一部で,孤立死という用語が使用され始めていることも付記します。)


        后〔犠錣噺鋲函 修海寮い楼貘硫燭覆里ー

         この世は無常である(諸行無常)。すなわちこの世の万物はすべて変化する。この世に存在するもので移り変わらないものは無い。
         人や他の動物、花・樹木などの植物、石・金属などの鉱物、そして大気・水などなど、すべて、時間の長短はあれ,決して同じ状態を保つことは出来ない。
         宇宙のブラックホールやダークマターとて、しかりである。そして宇宙全体までも……。
        すなわちこの宇宙の万物は,すべて絶えず変化している(無常観)。 

         ただ、変化するからこそ、地球上では種の進化がみられ、文明・産業が発展し、芸術・スポーツが栄えてきた。
         人が自然に癒され、あらゆる動・植物の生育が可能となる。

         その常ならぬ万物の最小の構成要素は何かといえば、それは科学の進歩により分子、原子、陽子,中性子,素粒子と,目に見えないレベルまで突き詰められてきている。しかし、この科学的探索もたぶん終わりはないであろう。

         そこで、仮にその目に見えない究極的な未知の極小物質を、ここでは「極小粒子」と呼ぶことにして、難解な「般若心経(はんにゃしんぎょう)」(略本)を読めば理解し易い。

         「般若心経」の言わんとするエッセンスは、
           色即是空
           空即是色 である(空観)。

         拙い説明を加えれば、色、すなわちこの世の万物は、これ空、すなわち実体が実感できないような極小粒子でできている。逆に空、すなわち実体が実感できないような極小粒子は、これ色、すなわちこの世の万物を構成している、と。

         この世の万物を極小粒子のレベルでみれば、それぞれ異なったものに我々の五感(これ自体もそうなのだが)が認知しているものは,極小粒子の数量や混合の仕方、密度、粘度・固さ、大きさ、姿・形などが異なっているに過ぎない。
         そのような極小粒子から構成されている宇宙の万物は絶えず変化している。
         心は脳の働きであり,心を司る脳自体が極小粒子の塊であり,常に変化しているから,移り変わる。

         このように万物を一元的に観ずれば、万物はすべて連鎖しており、すべて縁ありて起こったものである(縁起観)。何一つ単独で存在しているものはない。宇宙全体がしかりである。
         現代の科学に照らし合わせても、無常観,空観,縁起観は驚くほど真理をうがった達見である。

         前記のエッセンスの文節(空観)を軸にして「般若心経」の全文を読めば、説かれている難解な表現も良く理解できる。そして最後に、「羯諦(ぎゃてい)、羯諦(ぎゃてい)〜般若心経(はんにゃしんぎょう)」(人生行路を行く者よ、この世のことが良く理解できた、幸(さち)あれ)と、結んで終わる。

         「般若心経」はもともと大乗仏教の究極的思索から結実した哲学である。私はもともと信心は浅い方だが、「般若心経」の言わんとすることには宗教を超えた思想・哲学がある,と思う。
         もの心着いた時から私の心に付きまとっていた「この世は一体、何なのだろう」という大きな疑問がようやく理解できるような気になってきた(独断と偏見による妄想)。

         さて最近思うに,無常である万物の中で最も身近な存在は人である。
        人も無常であるから、その最大の変化すなわち死を何人も免れることは出来ない。
         だから死を前にして、人はどこかで言いようのない孤独を覚えるのではないだろうか。
        もう時間は元に戻せず、誰も死から蘇ったことはない現実を、人はその生きてきた中で良く知っている。
         いや、すでにDNAに組み込まれて分かっているのかもしれない。
         死が近くに迫ると、一人で逝くしかない厳然たる運命が待っている、と。

         それ故に、どんな死にも孤独が付きまとう。ただ、その孤独の有り様は、どんな場所、時であれ、その人の心の有り様次第で変容するのではないだろうか。

         例えば、人生行路の中で孤独に苛まれている時に、傍らにいてじっと見守り聞いてくれる人、その人の心には慈悲がある。見守って聞いてくれる人は、一握りの縁ある人に過ぎないが、そんな人の存在は孤独を緩和してくれる。
         また、そんな人の存在があるから,人は愛し,生きてゆけるのだと思う。

         さらに、日本人は中世の頃から、時として感じる詫(わ)びしい・寂(さび)しい気持を、「詫(わ)び・寂(さ)び」という閑雅・枯淡の美へ転化し、芸術・文化にまで昇華してきた。
         逆に、飽食と宝飾に包まれていて孤独を訴える人も古今東西尽きない。

         死を前にして、その人が孤独であったかどうか、その有り様はどうであったかは、亡くなった本人しか分からない。または生前、本人の琴線に触れる機会があった人(これとて不確かである)ぐらいしか伺い知ることができない複雑で微妙な心の働きである。他人が入り込めない人の心の最も奥に存在するものである。

         ところが,この世は無常である。この世に存在するもので移り変わらないものは無い、と凡人は無常を自覚すればする程、それは良く分かっているのだけれど・・・・・,と,日常的孤独感は深まる面もあるような気がする。

         このように観てくれば、泰然自若として生きることが肝心なのだろうが、
        しかし煩悩具足の私は、この世の無常は胸の内に置きながら、
         定年退職後の現在、週四日間働き、妻や子供・孫達と日常のふれ合いを大事にし、社会人オーケストラで下手なチェロを弾き、スポレックで汗を流し,時に美術館や映画館などに行って素晴らしい芸術に感動を覚え、
        ビールを飲みながらサッカーや野球のテレビ観戦に熱中し、
         そのような日常生活に疲れたら旅行に行き,自然に親しんで心身をリフレッシュしている。

         そのように生きて,残りの無常なこの世を精一杯楽しむことにしよう。


          今まで読んできて下さった方々へ
           いよいよ,次の 此〔犠陲反傾福論 で,この随筆集も「完」を迎えます。 この此,蓮ずまでにない時間とエネルギーを使いましたので,ぜひ読んで頂きますようお願い致します。

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